3つのマクロ的農業問題

マクロ的農業問題

近年、日本国内における農産業の衰退は著しい。2012年末、安倍晋三内閣が経済再生のために掲げた「三本の矢」の1つ成長戦略の中に農業が位置付けられ、アベノミクスの農業改革のキーワードとして「攻めの農林水産業」といった言葉が多くのメディアに取り上げられたのは耳に新しい。その具体的な内容として大きく3つの目標が掲げられている。

1つ目は、成長戦略を掲げた時点では約4,500億であった農林水産物の輸出額を2020年までに1兆円規模に倍増させる目標である。しかし、上記のような短期間に農林水産物の生産数量を増やし、輸出額の増加を図ることは、耕作地面積含め、数々の問題から実現させることは難しい。そのため「日本ブランド」という付加価値を農林水産物に付与することで、1個当たりの売価を増やすという、一種のセールスプロモーションによる輸出額倍増が狙いとしてあるようだ。確かに、世界的な寿司ブームの始まりとなった国産米の輸出額が米国、台湾、香港を中心に増加している。また、日本産のりんご、ぶどう等の果実が贈答用の商品として台湾、香港での需要の拡大による輸出額の増加が、成功例として挙げられている。しかし、セールスプロモーションによる一時的な輸出額の伸長は可能かもしれないが、今後持続的な成長に繋がるかどうかは難しいと考えられる。

第2に、農地集積バンクによる農地の集積、集約化が目標としてあげられている。日本の農家1戸当たりの耕作地面積は1.83haである。これは世界各国の国と比較すると、2007年度の資料によれば米国は198ha、EUは14ha、オーストラリアは3024haであり、歴然たる差が見られる。それに加え、均平な土地が多く、風土、気候が安定する欧米諸国と比べ、日本は国土の70%が山地や丘陵地が占め、平野が非常に少なく、気候においても変動が激しいために農耕を営むには適しておらず、日本特有の良さでもある四季が仇になってしまっている。こうした要因から農地を集積したとしても1箇所に農地を集積することは難しく、無秩序に集積された農地では規模の経済性を用いることは困難であると考えられる。

また余談ではあるが、農家である父親と祖父曰く、戦後、GHQによる農地改革により、政府が安値による農地の買い上げを断行し、多くの農地が国に買い上げられ、小作人に売り渡された過去を持つため、現在に至っても農地を手放すことを惜しむ農家が多くあるため、農地の集積が進まないのではないかとも考えられる。

第3の目標として、農業の6次産業化が挙げられている。本来、国内農家による農業の体系は1次産業を主とし、農産物の生産のみに特化している。しかし、生産のみにとどまらず、2次(加工)、3次(販売)を同時に行うことで農家の所得を向上させる狙いがある。確かに、食料生産のバリューチェーンを鑑みると、生産段階では約9兆円であったものが、最終消費段階では約90兆円と10倍近くの付加価値が付く。

 

GDPと食料自給率

では、なぜ農産業が国の政策の一つとして位置付けられたのかを農業問題とともに振り返っていきたい。一言で農業問題を提起するとしても、GDP減少、食料自給率、農業就業人口の高齢化、担い手不足、農地の耕作放棄等と諸般にある。農業問題の入り口として、巨視的に問題を理解するべくGDP及び食料自給率の数値に触れていきたい。

農林水産省の統計データを元に算出した下記グラフから1960年以降の農業総生産及び対GDP比率が伺える。注目するべくは、対GDP比率で1960から2011年にかけて9.0%から1.0%へと減少していることである。その背景に、製造業等の他産業が成長産業として急激な伸長を遂げ、農産業が縮小したことに起因する。確かに1990年度に至るまで農業総産出額は上昇を見せるが、それ以降バブル崩壊を契機に農業総産出額は低迷の一途を辿っている。

図 2 農林水産省『農業白書附属統計表』、『農業・食料関連産業の経済計算』

食料自給率の面から農業問題を探る。カロリーベース食料自給率とは、1人・1日当たり国産供給熱量(954kcal) / 1人・1日当たり供給熱量(2,417kcal)= カロリーベース自給率(39%)と求められる。

下記グラフから1960年以降、国内食料自給率が年々減少していることが分かる。この低下の要因は複合的な数々の問題によって引き起こされたものであるため、一概には応えることは難しいが、下記にある各種別の食料自給率を交えて考えていきたい。

図 3 農林水産省 「食料需給表」

1つ目は貿易自由化による外交面によるところが大きく、今まで関税障壁に苛まれていた農産物の関税撤廃及び高関税輸入品の関税引き下げが全体的な食料自給率低迷の原因として挙げられる。

2つ目に日本の食文化の変化が挙げられる。これは1つ目に挙げた貿易自由化と少なからず関連している。日本は1960年以降の市場開放により、比較優位のないトウモロコシ、小麦等の飼料穀物を輸入し始めた。その結果、日本人の食生活に変化をもたらせたのである。世間一般で言う「食の欧米化」である。これに伴い、コメ中心の食生活であったものがパンに加え、肉類や油脂をたくさん使用する料理へと移り変わっていった。そのため、穀物自給率の低下が、他の自給率に比べて顕著となっている。上記で飼料穀物の輸入が増加したと述べたが、なぜそれが肉類の料理の増加に繋がるのか、また肉類や油脂類を日本国内に広がるのであれば、野菜よりも多くのカロリーを有する肉類、油脂類の増加はカロリーベースの食料自給率の増加に繋がるのではないかと考えられる。しかし、輸入飼料で飼育された畜産物の消費は国内の自給率には含まれず、自給率の増加には繋がらないために年々、自給率は減少に向かうのである。

図 4 農林水産省

3つ目の原因は政府による度重なる減反政策である。1970年に本格的にコメの生産調整がスタートした。その背景には、コメの生産面と消費面の双方に生じた構造的な変化がある。生産面においては、戦後の食糧増産の取り組みが行われ、農地の積極的な開拓、農業水利開発によるコメの生産が伸長したことに他ならない。確かに1960年以降から現在に至るまでのコメの供給率は100%を超えている。消費面では、上記でも記したように貿易の自由化に伴う食生活の変化である。これにより上記のデータを見ても小麦や油脂類、畜産物の消費量が増加したため、コメの消費量は減少した。

また当時の政府は国鉄と健康保険と1942年に施行されたコメの食管制度の大きな3つの赤字を抱えており、3K赤字と揶揄されていた。食管制度による政府赤字について述べる。当時、コメは食糧管理法の下に流通が国家管理されていた。戦時中は、配給制度の下にあり、戦後も生産したコメは国家への売り渡し義務が課せられ、決められたルートでしか販売ができず、コメの価格も政府が消費者価格と生産者価格の双方を決めていた。またコメの不況時には生産者から高く買って、安い価格で消費者に販売していたことも相まって、いわゆる逆ザヤという赤字が発生し、財政負担が膨らんでいったのである。こうした食管法の制度の下、コメの買い上げを行っていた政府は上記の供給過剰によって抱えた大量のコメの在庫の問題も相まって、大きな負担を抱えたのである。これらの要因から当時、コメ増産の気運が高まっていたにも関わらず政府はコメの生産調整に踏み切ったのである。その結果、米の生産量は1960年度約1300万トンから2014年度約850万トンに減少し、食料自給率の低迷の原因の1つとなったのである。

確かに現在、食に困窮し、それに生活を脅かされる人は国内にはいないだろう。しかし、今後世界的食料危機に見舞われ、日本が輸入頼っている各国が国内の自給率を賄いきれず、国外への輸出もままならない状態に陥った時の展望を考えると今後、日本の農業の基盤を更に強固なものにしなければならないだろう。

 

農業従事者の減少及び後継者不足

前節では農業問題について広範囲にとらえたが、本節、次節ではより視野を狭めた問題について論じる。現在、人材の面においても日本の農業の縮小傾向が加速している。

図 5 農林水産省 「農業センサス」

上記グラフを見てもわかるように1960年以降の農家数の推移を見ると、2010年度には半分以下に減少しており、1980年以降に減少のテンポは年々加速し、歯止めがかからない状態に陥っている。また農産物の販売額が年間50万円以上、あるいは農地面積が30アール以上の農家を販売農家というが、その減少の仕方は顕著で農家全体の数よりも加速しており、過去10年間を見ても3割減である。グラフでは専業農家の割合が1990年以降反転増加をしているが、この現象は高齢世帯員のみの専業農家の増加によって生じている。この現象の典型的な例として兼業農家の世帯主が定年で勤め先をやめた結果、統計の定義上は農業のみに携わる専業農家としてカウントされる形である。また農家戸数減少と共に農業就業人口数も減少しており、過去10年間で3分の2にまで減少した。

ここで高齢化という言葉が出てきたが、国内の農業従事者の高齢化も深刻な問題である。下記に年齢階層別の基幹的農業従事者数の割合のグラフを載せておく。基幹的農業従事者とは農業に主として従事した世帯員(農業就業人口)のうち、ふだんの主な状態が「仕事(農業)をしていた者」のことを言い、主に農業をメインとした仕事をしている人という認識で良いだろう。

図 6 農林水産省 「農業構造動態調査」

上記グラフを見てもわかるように40歳以下の青年層の農業従事者の数は全体の10%と圧倒的に少なく、その反面65歳以上の割合が60%を超えていることが読み取れる。

この現象の背景には30、40年前若者だった農家の子弟の大半が農業以外の職業を選択したこと、そして、の後も同じ傾向が続いたことによって生じたものではないかと考えられる。とくに高度経済成長迎える以前の昭和一ケタ世代までは、農家の長男であれば農業を継ぐことが当たり前であり、世帯として農家を継ぐことは職業をとしての農業を継ぐことと同義だったのである。しかし、高度経済成長を迎えるとともに農家の家系に生まれた若者たちも異なる就業選択をしたのである。

ではなぜ農家の長男は家業の農業を継ぐことなく他の就業選択をしたのか。それは1992年に農林水産省より公表された「新しい食料・農業・農村政策の方向」、いわゆる新政策でも述べられているように農業所得の低さ、休日制、給料制の仕組みの欠如など労働条件面での遅れ、農村地域における生活環境整備の立ち遅れ等の原因により農業に魅力を失った青年層が農業以外の他産業への就業を選択したのではないだろうか。

 

農地の減少及び耕作放棄地の増加

図 7 農林水産省大臣官房統計部『耕地及び作付面積統計』

上記グラフは1960年以降の田・畑種類別耕地面積の推移である。農地面積は昭和36年から平成25年にかけて609万haから453万haへと減少し、156万haもの農地が日本から姿を消したのである。この現象の原因は、1960年以降の高度経済成長とともに起きた列島改造ブームや土地の過剰流動性を背景にして土地価格が20%以上に上昇したことに起因し、1970年前半には農地転用面積が毎年5万haにも上った。こうした異常な地価の高騰、いわゆるバブルの影響により、国内各地の農地が宅地や工場用地、道路へと転用されていったのである。

次に耕作放棄地の増加について触れたい。耕作放棄地増加の問題は農地面積とは対照的に近年(直近20年間)で起きた比較的新しい農業問題である。耕作放棄地とは「以前耕地であったもので、過去1年以上作物を栽培せず、しかもこの数年の間に再び耕作する考えのない土地」と農林業センサスにおいて定義されている。ここで種別農家における耕作放棄地の増加推移及び種別農家の耕作放棄地保有率を載せておく。

図 8 農林水産省 「農林業センサス」

図 9 農林水産省 「農林業センサス」

上記グラフを見ても耕作放棄地の面積は年々増加傾向にあり、1995年から2005年にかけて、おおよそ15万haにまで増加した。またその中でも土地持ち非農家による耕作放棄地面積の保有の割合は大きく、増加傾向にある。ここでいう土地持ち非農家とは農家以外で耕地及び耕作放棄地をあわせて5アール以上所有している世帯のことをいう。その典型的なものとして次のような例が挙げられる。

前節でも述べたように、高度経済成長をとともに、農家の家系に生まれながらも他の就業選択をしたものがこの例に多く当てはまる。また農家である両親の他界後、残った農地を資産として受け継いだ者が定年退職後に営農を放棄したことで、耕作放棄地が生まれたのである。確かに営農を営むための農地の水準を維持することは非常に労力を伴い、雑草や害虫を駆除するための農薬を散布しなければならず、費用の面でも大きな負担となる。また、中山間地が70%以上を占める日本では鳥獣被害や野生動物による農地への被害もあり、農地を維持することは容易ではない。そのため、定年退職後、営農経験のない60歳を超える高齢者が農地の維持、ひいては農業を営むことは非常に困難なのである。

こうした耕作放棄の問題は一節でも述べた「農地の集積、集約化」にも深く関わってくる。この政策目標が掲げられた背景には、耕作放棄地と化した農地を法人や新しい農業の担い手への所得権移転及び貸し付けの狙いがあった。しかし、こうした状況下にあるにもかかわらず、一向に農地の集積は進んでいない。その理由として、農地を宅地などに転用すると莫大な利益が転がり込むとの期待から、農地を手放すのを惜しむ土地持ち非農家が多いのが現状である。